左官の会社に入社。壁を塗る仕事はほとんどなく、土間ばかり。1日で5キロ体重が減ることもあった。教育環境最悪の現場。

左官の会社に入社。壁を塗る仕事はほとんどなく、土間ばかり。1日で5キロ体重が減ることもあった。教育環境最悪の現場。

【性別】男性
【年齢】(仕事が大変だった当時)
23歳

【当時の職業】
左官

【当時の住まい】
実家の一軒家で親と同居。

【その仕事はまだ続けてる?もう辞めた?】
転職して、違う業種で働いている





【就職のきっかけと経緯】
父親が自営業で左官でした。
継ぐために別会社へ修業のため入社しました。
今から約20年前の話になりますが、今後左官の担い手が減少するのは容易に想像できたため
貴重な職業だと感じ、始めました。

【環境と仕事内容】
土間、タイル下地のモルタル塗りとそれに携わる下準備、補修材塗り、ピーコン詰め、
職人は約20人ほどいました。
自分のポジションは一番下っ端。
勤務時間 6〜19時 現場への移動時間含む
休日 日曜日 (たまに土曜日も)
給与 約20万
出稼ぎで寮住み込みの職人がたくさんいて
そのほとんどがアルコール依存症の方でした。

【大変だった時期】
土間の仕事が多く、夏場、冬場問わず年中土間作業を行っていました。
夏は炎天下の中ひどい時は一日で5キロやせました。
冬の寒い中、コンクリートのついたホースを水で洗って、手の感覚がマヒしたり。




【大変だったこと】
1,教育
先ず教えるという文化がない。
育てる、教育するという意識がなく、見て覚えろ、1回で覚えろ、褒めない、良し悪しの判断がひとそれぞれ。
足場の上から数人に同時に呼ばれ、道具や材料を渡しにいく。
間違えたら、モルタルを投げられたこともあった。
口ばかりでえらそうにして、仕事はたいしたことない方もいた。
覚えてことを実践したら、方法やこだわりが人それぞれと言う理由で怒られる。
質問しても、感覚的な答えなので理解できない。
酒、ギャンブルの話ばかりでついていけない。
2,通勤
現場通勤に高速道路を使って2時間かかる所も多かった。
3,現場
バカ野郎、違うだろ、早くやれ、などの怒号を毎日浴びていた。
感情的に言われるので、論理できに理解できない。
ある程度、自分で本などで知識を得ていないと、
現場での実践だけでは難しいと感じた。
上階へ行くには足場しかないが
そこまでモルタルが入ったバケツ(約20キロ)を二つ持って
一日30往復したこともあった。

【大変だった期間】
入社から退社まで続いた。




【当時の心境】
日々の罵声、怒涛が本当に苦痛だった。
うるせえんだよ。
殺すぞ。
が口癖になってしまった。
バケツに入った水、砂をぶちまけてやろうと思った時もあった。
モルタルが入った一輪車をぶつけて、埋めてやろうかと思った時もあった。
コテで刺してやろうと思った時もあった。
分からない時、聞いても怒られるし、聞かなくてもおこなれるし、何もしなくても怒られるし
作業しても怒られるし、怒られるのが当たり前というスタンスでやらないと、
精神崩壊してしまいそうだった。
現場で体を動かす以外に、自分で勉強して知識を習得しないと、将来はないと思った。
ただ、家で勉強する体力など残っていなかった。
現場でのことを思い出すだけで殺意を抱くようになった時期もあった。

【職場が大変だった原因】
会社、職人間で教育という意識がない。
教える=感情的に怒る、人が多い。
導くとか育てる環境は皆無だった。
書面などで教育フォーマットなどあればいいのになと思った。




【仕事で良かったこと】
ある時期だけ、壁へ補充材を塗る作業ばかりしていた。
壁の一面を塗るのを任された。
出来栄えも悪くなく、「まあ、いいだろ」と言ってもらえた時は
嬉しいと感じた。
達成感もあった。
夕日が外壁に当たって照らされ、平面がきれいに映っていたのを見て
清々しい気持ちになった。




【特にひどかった最悪の出来事】
真夏の屋上での土間。
朝7時〜15時までの作業
炎天下の中、流したコンクリートが端から固まっていく中での作業。
当然昼飯を食べる時間もない。
コンクリートを流している作業と乾いた面をおさえる作業の同時進行。
あっちでもこっちでも職人に呼ばれる。
おさえ始めた場所に入っていまい、怒られる。
コンクリートを流し終わり、一段落ついた人は昼飯食べてる。
オレは、、コンクリートを流し終わったホースを洗い、解体しないと
夏場の気温ですぐ固まってしまう。
狭い足場の階段を何往復もして
ようやくホースなど片づけ終わったら、
引き続きおさえ作業が始まる。
のどもカラカラ、腹も減ったが
作業は止められない。
そんな感じでようやく作業が終わった。
家に帰って体重を図ったら昨日よりマイナス5キロだった。




【相談した人・助けてくれた人】
相談しなかった。
愚痴を言わなかった。
耐えること、我慢することが当たり前という考えがあった。
愚痴=弱音という考えもあり、弱音を吐きたくないと思っていた。
人生は修業場であり、これに耐えることが美学、強さなどと勘違いしていた。

【改善のための行動】
見たこと、聞いたこと、作業で実践したことは
現場中でもメモ帳に書きとめて、後で見返せるようにした。
休憩中でも職人との話のなかで、さりげなく聞いて
現場で聞けなかった話を聞いて勉強した。
段取り、要領は場数で体が自然に覚えていった。




【現在の状況と心境の変化】
左官の仕事を離れて、
現在は製造業に携わっています。
製造業は、その日1つ目の製品も1000個目の製品も
出来栄えはもちろん、手順、ルールを順守して作らなければいけません。
それを誰でもできる環境づくり(教育、手順書作成など)を整えるのは重要なことです。
また、失敗しない、させないための仕組みを必要になります。
教えてもらいない、ルール、手順がないなどの苛立ちを身をもって体験したため
現在の職場では人一倍、教育には気を使って仕事しています。

【学んだこと】
感情の中で怒りは最も無駄だ、ということを学びました。
怒りという感情の前に必ずもう一つの感情があります。
悔しかったのか、悲しかったのか、恥ずかしかったのか、など
意識することで次回へのアプローチ方法が変わってくると思います。



【当時の自分へのアドバイス】
人生の中で人間関係で大変なこと、体力的にきついこといろいろあります。
ある程度は経験が必要なことで、耐えたり、改善する知恵を養えると思います。
ただ、耐えるだけ、我慢するだけでは勿体ない。
この世は修業の場と考え取り組むことも大事だけれと
その先に喜びを感じれるようにしないといけないと思いました。
喜びとは業を習得したり、人に教えたり時間をかけて
なにか花開くものがないと、人間耐え続けるには限界があります。
そしてその先に、周囲の方々へ感謝できるようになれば、なお良いと思います。
苦しいこともあったけど、今感謝できる心境であれば
苦しかった経験も長い目で見ると幸せだったと感じられるでしょう。